静岡英和女学院高等学校はタイボランティアツアーで、村でホームスティし、カレン族の子供たちと交流をしました。自然と共生する生活、助け合って生きるカレン族の人を見て、高校生は多くのことを学んでいますその後の人生を大きく左右させる程、印象的で感動的な旅となりました。
向こうの校長先生が私たちを歓迎してくれ、たくさんの食事をごちそうになり帰ろうとした時のことです。私たちが残してしまった食事をティンやその仲間が食べていたのです。私はそれを見た瞬間、涙がとまりませんでした。日本では食べ残すという事に何の抵抗もなく、一日どれだけの残飯がでるでしょうか…限られた水と食糧の中で暮らす人々は、日本には無い、本物の生きる力があると思います。
自然と共に生きているカレン族の人達にとっては、森は大切な友達であり、時には森を助けたりするなどして、森と人がひとつになっていることがわかりました。またカレン族の文化や伝統はとても大事に受け継がれていて、知恵のある生活を続けていました。それに比べ私は、日本人を続けているにもかかわらず、日本の伝統や文化を知らず、質問されてもはっきり返事ができずとても情けなくなりました。カレン族の人達は、自分の村に誇りを持ち、自分にも誇りを持ち、とても生き生きとした姿に心を打たれました。
どんなに生活が貧しくても、また裕福であっても、感じ方は人それぞれですが、今回タイに行って思ったことは、タイという国、特にカレン族の人達の生活の中には、愛が溢れているということです。どんなに貧しい生活をしていても、村の中にはいつも笑顔の村人が沢山いるのです。少数民族だからこそ、互いに助け合って、隣近所の人と家族のように仲良くなれるのだと思いました。
自給自足での生活の中、電気をあまり使わない、物を大切に何度も使うカレン族の生活ぶりは、今の日本に何かを呼びかけている様です。子どもたちが遊ぶテビレゲーム、パソコン、携帯電話。「本当に必要ですか?」「何のために」「楽しいから?」「それで?」是非聞いてみたい気分になりました。かつて私がそうだったように、何だかばからしくてなりません。日本に帰ってきて、蛇口を開くと当たり前の様に流れる水やボタンを押すだけのテレビを使うと申し訳ない気分でいっぱいになりました。あたり前では、なかったのです。この暮らしは。幸せで当たり前。命があって当たり前という考えから、日常を幸せに思い生活していくことが大切なんだと改めて思いました。
山岳地帯には学校がほとんどありません。子供達は辛くても親から離れ寮で生活しなければいけません。私が寮の前を通ったとき、小学生にもならないような子が自分の服を洗濯していました。しかし、洗い方を知らないのでしょう。ぐしゃぐしゃと洗い、ビチョビチョのまま一生懸命干していました。まだお母さんに甘えたい年頃の子が親と離れ寮で生活し、自分の身の周りの支度をしていると思うと胸が痛くなり、自分がどれだけ親に甘えていたか知らされました。