ベトナムの学校

ベトナムの地図 <北部>
省名 建設数
ランソン省
タイグエン省
トゥエンクアン省
フートュー省
タンホア省
ゲアン省
ホアビン省
フーイェン省
イエンバイ省
ソンラ省
バクザン省
1
6
19
2
2
1
1
1
2
2
3
<中部>
クァンチ省
クァンビン省
フエ省
クアンナム省
コントゥム省
ダックラック省
2
1
3
30
54
11
<南部>
ヴィンロン省
ダナン市
ヴィンロン省
チャビン省
タイニン省
ドンナイ省
1
3
1
9
2
3

ベトナム・学校建設の例

AEFAのベトナムの学校建設は、ベトナム戦争の激戦地であった中部山岳地域を中心に、北部の山間部から南部のメコンデルタ地域まで、全域で展開しています。2012年までに103校を建設し、子ども達の学習環境を整えてきました。ベトナムの都心部は、海外からの投資も積極的に入り、新興国として発展してきていますが、都市部と地方との格差は広がるばかりです。少数民族が多い山岳地域ではインフラの整備も遅れ、子どもたちは、竹で編んだような簡易な作りの校舎や村の集会場や倉庫を借りて勉強しています。教室数が足りず、午前・午後の2部制の授業を受けている子どもや、近くに学校がないため、2-3時間かけて歩いて学校に通う子どもたちもいます。

AEFAの学校建設がきっかけとなり、地方政府も合わせて支援するケースも出はじめており、今後も地方政府とも協力しながら教育環境の整備が図ってまいります。


建設後の学校について

ベトナムの学校は、建設の段階から、地方政府の教育訓練局と連携・協力しているので、完成後は教育訓練局より教員が派遣されます。また、運営は教育訓練局、学校が保護者と協力をしながら責任をもって行っていきます。

また、建設後における日本の学校との交流も特徴的です。ベトナムの子ども達は、日本の子ども達から届く手紙や絵をつうじて、村以外の広い世界に目を向けることができました。また日本の子ども達への交流作品を作ることが、自分達の民族や文化を見直す良いきっかけにもなっています。


マンリー小学校(コントム省トゥモロン郡)― ベトナム戦争の激戦地だった中部高原にある

生徒数:102名(3-5年生)/教員数:23名(中学も含む)

<建設前>
マンリーとは「天に昇る」と言う意味で、歩くとき膝が鼻につくほどの険しい山にある。現在道は舗装されているが、かつては陸の孤島だった。子ども達も十分に食べられていない様子で、寄生虫を湧かしている子が多い。校舎は竹葺きで、トイレ、水もない。
建設前

<建設後>
2008年3.5教室の校舎を建設。また、同時期に政府支援で2教室の新校舎ができたことにより、教室数が増え、全日制になった。政府より貧困家庭子供に対する給食支援により、学校で昼食が食べられるようになり、子供が学校に来れるようになった。

建設後

ティン・トゥオン小学校(ダックラック省クロンアナ郡)― ハンセン病コロニー内にある

生徒数:378名/教員数:21名

<建設前>
村の80%がハンセン病患者で、ハンセン病の両親を持つ子が多い。8教室の旧校舎は4教室しか使用できない。電気はあるが、水道はない。年度始めは600名以上が登校してくるが、年度終了時点では400名台まで落ちる。収入はほとんどなく、家屋も国の少数民族支援政策によって建てられた。
建設前

<建設後>
2007年に5教室+井戸+トイレの新校舎が建設された。建設後、日本との交流にはとても意欲的である。校長先生もやる気があり、学校に勢いがある。AEFAとして2010年にあと一棟追加建設を決定し、教育環境の充実を図っていく。

建設後

タンホアA小学校(チャビン省)― 奨学金制度も合わせて導入

生徒数:140名/教員数:18名

<建設前>
この地区はクメール族が34.84%を占め、平均的な収入は月18万ドン(約1200円)/人。男性は日雇い労働に出たり、女性は住み込み家政婦として働きに出ている。住居が転々と変わり、経済的理由で学校に通い続けるのが難しい子どももいる。旧校舎は教会の穀物倉庫を使用。電気もなく、修理を重ねてきたが、壁にひびが入り、柱は腐り、倒壊の危険があった。
建設前

<建設後>
2008年、4教室+図書室兼集会室+WC+井戸の新校舎が完成。この完成を受け、2009年12月、政府の支援も決定し、さらに新校舎(4教室×2階建の校舎)も作られた。これで全学年全日制になる。新しい学校ができ、奨学金制度で出席率が大幅に改善された。

建設後